【掲載記事】毎日コミュニケーションズWebマガジン「イノベイターたちの横顔」

WEBマガジンの取材により、
私のインタビュー記事が掲載されました。

知人の喜多美里さんのご厚意で、
執筆者の嶋田さんをご紹介頂いたことがご縁です。

そこで驚いたのが、嶋田さんの
文章での的確な再現力です。

取材中に録音などをしていないのに、
メモを取るだけで私の話した内容を
正確かつ的確なに、しかも分かりやすく描き出されています。
さすが、プロだなあと唸りました。

ただし、随所に
エモーショナルな誇張といいますか、
インタビューされた本人としては
気恥ずかしい部分もあります。

以下、引用になりますが、
よろしかったらご覧ください。

『MYCOM BIZUP』(マイコム ビズアップ)ウェブ&メールマガジン

毎日コミュニケーションズが
20代前半の若手ビジネスパーソンに向けて、
キャリアとスキルという視点から
「今という流動的な時代を自分から楽しむビジネス力を身につける」
ことを提案。

イノベイター(変革者)たちの横顔 第5回
「ベンチャー・キャピタリストからベンチャー社長、そして起業家へ」
~<変幻自在な若きイノベイター>インスパイア代表・青葉航さん

(1)「成功と幸せの源泉は、ワクワク感ですよ」:
稀に見る多忙な人だ。
福岡、長崎、ハワイ・・・2週間、3週間と
各地で研修・ワークショップ運営に携わる。

ようやくお会いできた彼の顔は、しかし、
少しの疲労感もなく、実に晴れやかで、清々しかった。

意外そうな筆者に対して、
「こんなワクワクするような仕事を次々にできるんですからね、やればやるほど、逆に、どんどん元気になっていきますよ!」と微笑む。

本企画の第1回から第4回までに
ご紹介したイノベイターたちは、
大企業の一員として、その自社革新の先頭に立ち、
さらには、業界全体の構造革新を推進する人々だった。

それゆえ、どんなに快活に振る舞っても、そこには、
巨大な責務を担う人ならではの
「静かな、かつ張りつめたような緊張感」が
にじみ出ていたことは否定できない。

しかし、今回は少し雰囲気が違う。
自分自身の「魂の呼び声」と向き合い、
腹をくくって独立し、見事成功しつつある人特有とも言える
「自由な軽やかさ」が、辺りに漂うのだ。

彼の名は、青葉航さん、33歳。
オシャレでハンサムなナイスガイだ。
青葉さんとは一体、どういう人物なのだろうか?

(2)「人の行かない道を行け」
 ~イノベイターとしての基盤形成①:

1972年、埼玉県に生まれた青葉さんは、
浪人の後、早稲田大学商学部に入学する。

エリート・コースを歩んでいるように見えるが、
浪人する際の予備校選びから、
すでに現在の青葉さんを彷彿させるから面白い。

当時の進学校の出身者は、予備校といえば
何の躊躇もなく、駿台、河合塾、代々木ゼミナールに入学するものだ。

ところが、青葉さんは、
わざわざ、そのコースを拒否した。

「人の行かない道を行け!」、
「ナンバーワンよりオンリーワン」
という独自の価値観に基づき、
知人がまったく居ない、そして英文を大量に読ませる、
という当時としては異色の教育方法の予備校
トフル・アカデミーを選んだのである。

翌年、晴れて早稲田大学に合格。
テニスとアルバイトに熱中した。

テニスは準体育会系のサークル。
「やる以上は徹底的にやる!」という、
これまた独自の価値観に従い、高校以来の腕に磨きをかけた。

ところが、3年生の時、
大学からテニスを始めた先輩に負けてしまう。
ショックだった。
「技術はこちらが上でしたが、メンタル(精神面)で負けたんです!」。

(3)「勝者は、常に勝者の態度でいる」
  ~イノベイターとしての基盤形成②:

ここで、青葉さんは「気づき」を得る。
メンタル・コーチ、ジム・レーヤー博士の言葉だ。
「勝者は、常に勝者の態度でいる!」。

ここでいう勝者とは、
「本来持っている、理想的なプレーができる自分」のことだ。

「ミスをし、点を取られても、一球ごとに、
気持ちを切り換えてゆかなければいけない。
失敗を引きずって内的な対話に入り、
ドツボにハマってはいけない」。

この「気づき」こそは、社会に出て、
自分自身が成長してゆくための、
結果としてイノベイターとして成功してゆくための
大きな原動力となってゆくのである。

また、自他共に認める「食いしん坊」の青葉さんは、吉祥寺のフランス料理店での接客アルバイトにも熱心に取り組んだ。

ここでも、大きな「気づき」を得る。

「店に来るお客様が食べるものは、すべてフランス料理のコースで変わりはないが、食べるスピード、食材の好み、調理法の好み、会話のテンポ、話題などの雰囲気作り・・・そのすべてにおいて、人それぞれであって、皆違うんだ」と。

だから、一人ひとりのお客様が何を望んでいるかを鋭敏に察知し、配膳のタイミング、身のこなし、料理の説明など、「個」客対応しなければいけないと。

この「気づき」が、社会に出てから、顧客の「潜在欲求」(=Wants)を把握して、それを実現してゆく、という「ホスピタリティ・マインド」として結実してゆくこととなる。

(4)「とんでもない勘違い」からスタートした職業人生:

そして訪れた就職活動期。
青葉さんの父親は、財閥系石油化学会社に勤務し、当時としては、非常に珍しい文系出身のシステム・エンジニアであり、その道のパイオニア的存在だった。
お父さんは言った。「伸び盛りの会社に行け!」。20代は急成長中の企業で鍛えられることが大切だと、お父さんは教えたのだ。

青葉さんの通った早稲田大学商学部といえば、財閥系の銀行・証券・商社に行くのが「お約束」のようになっており、その中でもいかに業界上位企業に入るかを巡って熾烈な競争をするのが通例だった。

しかし、父の背中を見て育ち、中学時代から自らプログラム開発をするなどPCに精通していた青葉さんは、システム系企業を指向する。

「人の行かない道を行け!」
「ナンバーワンよりオンリーワン」だ。

こうして青葉さんは、カリスマトップ大川功氏のリーダーシップで当時話題だったシステム開発大手のCSKを応募・・・したつもりでいたら、しかし、そこは
CSKではなく、その子会社CSKベンチャー・キャピタルだったのである!!

「しまった・・!」と思った時は、もう遅かった・・・・
でも「せっかくだから・・・」と話を聞いてみると、これが面白かった。
これから伸びそうな企業を見つけて投資・育成する、というコンセプトが気に入った。

「こんな業界があったとは・・・!」
目からウロコとはこのことだ。
心が躍った!

しかし青葉さんは、従業員20人強で何もかもがこれから、という同社ではなく、同じベンチャー・キャピタルでも従業員数200名で「伸び盛り」の日本アジア投資(株)に入社した。

将来、企業の経営に関わりたいと考えていたので、ある程度の組織の末端で働く経験をどうしてもしておきたかったからだ。

(5)「4年間に800人」のベンチャー企業経営者と出会う:

1995年4月、
入社と同時に東京本社で研修。

その時、専務取締役から印象的なことを言われる。
「数社からスカウトされるような人材になれ!」。ヘッドハンターからではなく、経営者たちから直接スカウトされる人材になれ、という専務のこの言葉は、その後長く、青葉さんの意識に残ることになる。

本社研修を経て大阪支店に配属。
今でこそベンチャー・キャピタルといえばメジャーな業界だが、当時は、といえば「ネット・バブル」発生による「渋谷ビットバレー」の繁栄より3年も前の話であり、
まだまだマイナーな存在だった。

毎日足を棒にして「飛び込み営業」の日々が続いた。当然、門前払いされる所がほとんどだった。

だが、ここで生きたのが、
大学時代、テニスを通じて習得した
「勝者は常に勝者の態度でいる」
という姿勢だ。

どんなに邪険に断られても、さっと頭を切り換える。決して、直前の失敗や嫌な感情を引きずって「内的対話」の悪循環に入るようなマネはしない。

それが効を奏してか、次第にベンチャー企業経営者と会談できる確率も上がっていった。
その訪問数は、累計で4年間に実に800社!

その内、実際に「投資」したのは4社、
金額にして計3億円あまりだったという。

「ベンチャー企業経営者たちとの交際は、楽しかったし、それに何より、非常に勉強になりましたねぇ・・・・・!」。

朝がとても早い経営者たちのライフスタイルに合わせ、青葉さんも早朝には仕事を開始し、社長が喜ぶような情報を調べ、朝一番で提供し続けた。

ここで生きたのが、大学時代、吉祥寺のフランス料理店で培った「個」客対応の「ホスピタリティ・マインド」だ。

社長一人ひとりの異なる「ニーズ(=顕在欲求)」を叶えるのはもちろん、彼らの心の底に眠る個々の「ウォンツ(=潜在欲求)」を衝くような情報提供を心がけたのである。

こうした努力が実り、経営者たちとの信頼関係は急速に深く濃くなっていった。

(6)「月曜日が待ち遠しい!」のが成功するベンチャー企業経営者:

「プライベートでも色んな所に遊びに連れていってもらいました。でも彼らは言うんですよ。月曜日が待ち遠しいって・・・・!これはカルチャーショックでしたよ。なにせ私は週末が待ち遠しいのが当たり前だと思ってましたから」。

アメリカ東海岸にバブソン・カレッジという学校がある。そこには、世界の成功した経営者たちが招聘され、世界中から集まってきた学生たちと衣食住遊を共にする。

教場での講義や討論だけでは決して知ることのない経営者たちの姿に間近で接することを通じて、全人格的に、経営というものを学ぶのである。

日本から呼ばれたのは、本田宗一郎氏ただ一人。卒業生たちは、世界各国でビジネス・リーダーとして活躍している。

青葉さんが大阪時代に経験したことは、まさに、バブソン・カレッジ日本版とでも呼ぶべきものだ。成功するベンチャー企業経営者たちとの公私にわたる交友が、
青葉さんを更に一回り大きく成長させたと言ってよいだろう。
訪問した業種は、当時伸び盛りだった流通・小売・サービス業が多かったという。

(7)若き「イノベイター」として活躍の日々:

成長著しい青葉さんは、社内にも影響を与える。
入社3年目、若手代表として全社会議にて「自社革新」を提言し、「システム/プロセス革新」に影響を与えたのである。

それは、上場しそうな企業を見つけてきて「投資」することに力点が置かれていた従来の事業のあり方を、「投資」後の「育成」へと力点をシフトすることだった。

その後、会社は「ピラミッド型」で<経営速度>に難のあった組織構造を、「鍋蓋型」のチーム制へと構造転換させることに成功し、業績が向上した(約3年後に、はっきりと数字となって表れ、この構造転換が主因と評価されている)。

まさに「イノベイター」として先見の明があったといえる。

また、「育成」についての青葉さんの思想は、経営学的に見てもたいへん注目すべきものがある。青葉さんは熱く語る。

「経営者を見ていると、事業の導入期こそ創業の理念を大切にしていますが、発展軌道に乗ってくるにつれて、いつしか創業の<想い>からブレることが多いんですね! でも、そのままブレてしまうと、結局、経営はおかしくなり、上場どころではなくなってしまうんです。ですから、その<ブレ>を修正することが、<育成>という観点からは、非常に重要になってくると思ったんです」。

創業の<想い><理念>というのは、猛吹雪の中にあっても進むべき方向を明示してくれる磁石のようなものだ。

磁石の針が天候次第でブレるようでは命はない。経営には、どんなに環境変化が激しくても、絶対に変えてはいけないものがあるのだ。
それを青葉さんは、
何よりも大事にしたのである。

当時としては極めて斬新で革新的な発想であり、ベンチャー・キャピタリストの在り方についての、見事なまでのイノベーションであった!

(8)知人の社長に請われて「華麗な転職」:

さて、青葉さんがイノベイターとして大阪で活躍していたちょうどその頃、東京では、いわゆる「ネット・バブル」が発生し、渋谷周辺を中心にアイディア一本で巨万の富を築く「ネット系ベンチャー企業」が続々と勃興。
渋谷周辺は、アメリカのシリコンバレーに擬えて「ビットバレー」と称される空前の活況を呈していた。

青葉さんの血は騒いだ。
「東京に戻って、経営の現場に関わりたい!」。

決意は固まった。そして大阪でお世話になった経営者たちに挨拶回りしていた時、投資先の一つだった(株)サンワールドから同社の東京進出、新規事業立ち上げのスタッフになってくれないかと熱心に誘われた。

入社研修の時の専務の言葉が脳裏をかすめる。「数社からスカウトされる人材になれ!」。

「声を掛けてもらったこのチャンスに賭けてみよう!」。心は決まった。
1999年4月、青葉さんは(株)サンワールドに正式に入社した。

同社の事業は、
1.商標権・著作権など知的所有権の管理・許諾・商品化
2.映像や音楽著作物などのプロデュース
3.アパレル・雑貨などの企画販売
などであった。

「クオリティ・オブ・ライフ追求型」の人生を送る青葉さんは、「衣・食・住・遊」に関わることが大好きだった。
そういう価値観からしても、同社の業務内容は、十分に納得のゆくものだった。
というよりは、ワクワクに満ちた世界であった。

青葉さんの業務は、
行動特性としての「情報感度」「フットワーク」、スキルとしての「経営者&事業(の将来性)識別力」「資金調達ノウハウ」が評価されて、経営企画室を任された。

翌年8月には、同社の全額出資子会社
(株)SPMの取締役に就任。

この会社は、成長期(立ち上げ期)のベンチャー企業に対する経営サポートをその本業としており、青葉さんの大阪時代に培ったスキル、経験を生かしやすい分野だった。それが幸いしたか、2002年9月には、同社の代表取締役に抜擢された。30歳だった。

(9)「ベンチャー企業社長」として全力疾走:

社長として、青葉さんは同社の経営革新を実行した。
本社のオーナー以下、役員のバックアップのもと成果は目覚しかった!
たちまち事業は躍進を遂げ、日本経済新聞に記事が踊った。

「外食ベンチャー30社が年内にも人材募集・教育から食材の仕入れ、出店、販売促進活動などを共同で展開する。ベンチャー支援のSPMが連携組織の運営を支援する。強みを補完し合うことで、コスト削減や集客力を向上し、消費不況を乗り切る・・・(以下 略)」(日経新聞2003年9月)。

「ベンチャー支援のSPMなど3社は、共同で外食店舗の出店を支援する。米映画を活用し、映画の登場人物や時代背景のイメージを生かした個性的な店舗作りを提案し、集客力を高める。(以下 略)」(2003年12月日経)。

設立間もないベンチャー企業が、これだけ日本経済新聞で大きく取り上げられる、というのは画期的なことであり、「夢」と「ワクワク」と「創意」に満ちた事業企画を提案し推進したことに対する社会的反響の大きさが伺われる。

実際、同社が社員募集の広告を出すや、200人を超す応募があったというから驚く!

SPMをこれだけの注目企業へと「変革」した青葉さん。
社長として全力疾走すること約1年半。
2004年2月末、中村さんは、突如、
同社代表取締役を退任し、3ヶ月間の充電期間に突入する。

(10)独立開業~「ゼロリセット」からの出直し、そして今:

「本当に充実し切った素晴らしい1年半でした。そういう意味では十分に満足していますし、オーナーには心から感謝しています。しかし、その一方において、社長と言っても、雇われ社長ですから全体のパーツでしかなかった訳です。その点で創業社長とは根本的に異なるんですね。もともとが、自分で事業を起こしたい気持ちが根っこにあって東京行きを希望した訳ですし、オーナーの口癖だった<自分のルールに従う>ことで生きてゆきたいと思ったんですよ」。

社会人となって9年、濃密な日々を通じて習得したビジネス・スキル、人脈、自信をベースに、それまで眠らせていた自分自身の内なる「魂の呼び声」、「魂の叫び」と真正面から誠実に向き合い、遂に腹をくくって、独立を決意したのである。70社を超えるクライアント先は全て古巣に置いて出てきた。文字通りの「ゼロリセット」である。

反響は大きかった。200人を超える人々から様々なメッセージが届いた。有難かった!

「充電期間」に入った青葉さんは、バックパッカーとして、ヨーロッパ7カ国を旅し、これまでの自分自身を振り返り、これからの自分の在り方について、考えを深めた。

そして、2004年6月、ベンチャー企業支援・人材育成・コーチングを軸にした「インスパイア コーチング&コンサルティング」を創業したのである。

創業1年で、たちまち、法人3社、個人50人のクライアントがついてしまった。それでも青葉さんは慎重だ。いきなり法人化し、従業員を抱えるようなことはしない。まずは、個人事業主というスタイルで、自宅をオフィスにして十二分に事業基盤が出来てから、スタッフ雇用、法人化へと段階的にシフトしてゆく予定でいる。

・・・今日も、青葉さんの携帯電話は鳴り続ける。さまざまな事業の相談、依頼が、国内外からひきもきらず来るからだ。ますます多忙を極める青葉さん、そして、ますますワクワク感に心躍らせる青葉さん。その姿は、まさに凛々しいという言葉がぴったりだ!

(11)「変幻自在なイノベイター」としての成功要因は何か?:

最初は、ベンチャー・キャピタリストとして、そして次は、ベンチャー企業の幹部を経て社長へ、さらには、自ら起業家として創業へ!
青葉さんの「イノベイター」としての活躍ぶりは、まさに「変幻自在」と言ってよい。それを可能にした要因は一体何だろうか?
本文中ですでに触れた部分もあるが、ここで整理しておこう!

1.「人の行かない道を行け」「ナンバーワンよりオンリーワン」:

これを可能にする要因は、ひとえに「勇気」であり、それを根底で支える「自我」「個」の確立である。

日本人は、基本的に今でも、「同質性」をベースにした競争を重んじる。

「個性」重視と言うが、その実態は、
世間のメジャーな価値観に沿いながら、
その中で微妙な「差異」を主張することで、「個性」と称している。

逆に、そうでない者は、学校社会でも企業社会でもいじめられ、疎外されるものだ。
日本のムラ社会にあっては、今なお多くの場合、同質性の競争の中で相対的優位を得ること、
すなわち、「ナンバーワン」になることこそ価値がある。

自分の「ニーズ」「ウォンツ」、さらには「魂の叫び」に誠実になろうとする「オンリーワン」を目指す価値観は、よほどの「勇気」、「信念」がないと、その貫徹は難しい。

そういう意味で、青葉さんは、
「我が道」を行くだけの「勇気」「信念」「自信」を持っていたと言えるし、それを支える「自我」「個」が確立していたと言えよう。

2.「勝者は常に勝者の態度でいる」:

仕事でも私生活でも、人生は、楽しいこと、快適なことばかりではない。

むしろ、日々の生活にあっては、
失敗、挫折、屈辱、不快感などを味わうことの方が多いものだ。

こうした感情は、ジワっと心に残りやすく、それを反芻して「内的な対話」にハマってゆくことが多い。

しかし、いったん、そうなると、その「ネガティブな循環」から脱出するのは難しく、他の仕事や人間関係にも良くない影響を及ぼすことになる。

イノベイターとしての成功を目指すなら、本文中で述べたように、直前の失敗や嫌な感情を引きずることなく、頭と気分を切り換え、リセットしてゆくことが必要だ。

この「絶えざるリセット」によって、
自分自身の「想い」「理念」にいささかもブレを生じることなく、常に、自信に満ちた「プラスのオーラ(気)」を周囲に発散することができ、それが結果として、
多くの人が周囲に集い、幸運と成功を呼び込むことになるのである。

3.「ホスピタリティ・マインド」:

これまでにご紹介したイノベイターたちがそうであったように、イノベイターとして成功する人々は、すべて、この「ホスピタリティ・マインド」の持ち主である。

相手の「ニーズ」(=顕在欲求)に即応するのは、もちろんのこと、相手の「ウォンツ」(=潜在欲求)を鋭く衝くことによって、相手にトキメキや感動を与える、という基本姿勢を持っている。

この基本姿勢を日々現わすことによって、相手から比類ない高評価と信頼感を勝ち得ることが可能となり、結果として、自分の「応援団」を増やすことになるのである。

4. 「父親から学ぶ」:
我々一般人、とりわけ男性は、自分自身のキャリアを考えるにあたって、えてして、父親というものを、「否定すべきもの」もしくは、「無視すべきもの」と見なしがちだ。

しかし、否定することは、すなわち、それにとらわれていることに他ならず、人生選択の自由さ、柔軟性に欠けている。

また無視するとすれば、そこには、人生の先輩から学ぼうという謙虚さ、貪欲さが欠けている。

ところが、青葉さんの場合には、
積極的に父親から学ぼうという基本姿勢が備わっており、それが結果として、非常に大きなプラスをもたらしていることは明白である。

イノベイターとして活躍できる人の、隠れた成功要因として、これは要注目と言える。

5.「ベンチャー成功者から<全人格的>に学ぶ」:

「講演」とか「著作」で「ビジネスの成功者」に学ぶのも必要だが、アメリカ東海岸のバブソン・カレッジの事例を本文中で挙げたように、究極的には、彼ら成功者たちとの衣食住遊を通じて、全人格的に学ぶことが最善である。

人生の先輩から学ぶ、という点からみれば、4の「父親から学ぶ」というのに非常に近いものがあろう。

言い方を換えれば、父親から謙虚に学べる青葉さんだからこそ、ベンチャー成功者たちから全人格的に学ぶことに、無理なく自然に馴染めたとも言えるのである。

表面の「つきあい」ばかりになりがちの現代において、見直されてよい成功要因だ。

6. 「自分の人生をプロデュースする」:

「終身雇用・年功序列」が崩壊した21世紀の日本の企業社会においてもなお、多くの人が、「自分自身を会社のパーツにして」生きている。

あるいは、「自分自身の人生(の方向性/命運)を、会社に預けてしまっている」。

しかし、これでは、いったい誰の人生を生きているのか、よく分からない。これは、自分というものを持たない人の生き方である。

イノベイターとして成功する人は、
1で指摘したように、「自我」「個」が確立しており、「自分の人生」を「自己決定・自己責任で生きる」という基本姿勢が身についている。

彼らにとっては、
「人生のパーツとして、(個々の)会社生活が位置づけられている」のであり、
従って、今どこの会社に所属していようが、「パーツ」である以上、それ(=会社)はいつでも「交換可能」な存在でしかないのである。

基本的に、イノベイターは、
「自分自身の人生の経営者でありプロデューサー」なのだ。

7.「ワクワク感」をすべてのベースにする:

青葉さんの「人生行路」を特徴づけるもの、それは「ワクワク感」だ。

人生とは日々、「選択」の連続だが、その中で、青葉さんは、常に「ワクワクすること」を何より大切にし、それを実現する方向で、「選択」し続けている。

現代日本の企業社会を見渡してみると、自分自身の「内なる声」「魂の呼び声、叫び」に耳をふさぎ、押さえ込んで、世間の常識とか、
周囲の期待、虚栄心などで、キャリアを考える人が多い。

しかし、青葉さんにとって、
それは、自分自身に対する「不誠実」でしかない。

1の「ナンバーワンよりオンリーワン」とも関連するが、自分が「内なる声」「魂の叫び」と真正面から向き合い、それを人生において実現してゆくことこそ、
自分に対する誠実な生き方であり、それが出来る人だけが、仕事にも他人にも誠実であり得る。

これが、「イノベイター」として成功する人々に共通する基本姿勢であり、それこそが、「ミッションの自覚」と言えるのである。

本稿の読者である、あなた!
あなたは、あなた自身に対して、
どれくらい誠実に生きていますか?

(以上)

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