【掲載記事】「どんな仕事も、最初の数人から始まる!」人材会社によるインタビュー

☆The Voice of SPIRITS☆
~経営者とビジネスパーソンのチャレンジを応援するメールマガジン~
【Vol.16】2003.10.15

~はじめに~
メルマガ編集人・イサナ@有政です。
今回のチャレンジャーは中村氏という若手経営者。
熱いけど自然体で、自分という軸をしっかり
持っておられるナイスガイです。

蛇足:中村氏と知り合ってからずっと、誰かに似ていると
思っていましたがインタビュー後に判明しました。
それは・・・、後編にてお伝えします)

【1】チャレンジャーの軌跡9(前編)

(株)エス・ピー・エム 代表取締役 中村 航(なかむら・わたる)氏
1972年1月 埼玉県生まれ
1995年3月 早稲田大学商学部卒業
1995年4月 日本アジア投資株式会社入社、大阪支店に配属
1999年3月 同社退社
1999年4月 株式会社サンワールド入社
2000年8月 全額出資子会社の株式会社エス・ピー・エムの取締役に就任
2002年9月 同社の代表取締役に就任、現在に至る

『基準は我にあり。生きること=日々成長すること』

◆モノから時間へ。大学のゼミで学んだ「価値観の大転換期」

人は比較する生き物である。
しかも働く場面でこそ、
その「比較する力」が存分に発揮される。

同期のアイツにだけは負けたくない、
あの上司よりも俺の方が仕事をしている、
自分の市場価値は?
などなど、

ビジネス街の赤ちょうちんは
その手の話題を交わす場所として
営業が成り立つようなものだ。

しかし、比較には、
“世間並”という「横の基準」だけでなく、
自分の現在を過去と比較する
「縦の基準」も存在する。

過去から現在、そして未来へ、
自分は日々成長しているか?

現在の自分の未熟さを痛感している人、
途方もない夢を心に描いている人は、
世間並という「横の基準」に
あまりこだわらない。

そして、
それを無意識に実行できる人物こそ、
真のチャレンジャーに他ならない。

現在、31歳にして、
株式会社エス・ピー・エムの
代表取締役を務める中村航氏も、
そんな典型的なチャレンジャーの一人である。

彼のチャレンジャーとしての軌跡は、
早稲田大学商学部3年のときから
徐々にその痕跡を現しはじめた。

中村氏は、当時を述懐する。

「準体育会系のサークルで
テニス三昧の学生生活を送っていたのですが、
3年生になって、ゼミを
選択しなければならなくなったのです。

簿記や会計といった商学部の花形ゼミは
成績の良い学生しか入れませんでしたから、
私のような「低空飛行」組は
選択肢が限られていました(笑)。

そんな中で、
ゼミ合宿に「なぜか登山をやる」という、
ちょっと変わったゼミがあったんです。
妙に惹かれて、他に選択肢も少なく、
そこに決めました」。

勘と嗅覚に頼った選択は、
間違いではなかった。

ゼミの教授がとても面白い人で、
次のような思想をとうとうと述べた。

人が「夢」を持つ結果として、
人間世界は進歩してきた。

夢=欲望と言い換えてもいい。

飢えを回避し、毎日必ず一定の食料を確保したい
という「夢」が、人類を狩猟から農業へと導いた。

余剰となった農作物を元手に
珍しいものを手に入れたいという
「夢」が、貨幣経済を発達せしめた。

さらに、
毎日の労働負荷を低減させようという
「夢」が、蒸気機関を生んだ。

「文明の“夢”史観」とでも言おうか。
目からウロコの話だった。

無味乾燥だった大学の学問に
はじめて血が通った気がした。

「教授によれば、現在は
モノの文明から遊びの文明への
転換期だというのです。

より重要なのは
『モノ』ではなく、『時間』になっている!

こういう物の見方は、当時、
大きな影響を私に与え、今のような
仕事につくきっかけのひとつになっています」
(中村氏)

◆ひょんな間違いが決めた最初の就職先

歳月は巡り、大学4年に進学、
就職活動の時期を迎えた。

会社選びの一番の指針となったのは、

「20代の若い時期は、
伸び盛りで勢いのある会社で働け」
という父親のアドバイスだった。

父親は文系出身ながら、
財閥系の石油化学会社で
システムエンジニアとして働いていた。
日本では最古参のうちに入るだろう。

「家にほとんど帰らない。
帰っても、深夜にまた勤務に行くというように、
完全に仕事人間の父でしたが、急成長する会社で、
20代のうちに鍛えられることの重要性と、
そういう会社で働く楽しさを教えてくれた。

私も父と同じ
システムエンジニアという職種に興味を持ち、
業界をまわってみることにしたのです。

もうひとつ、就職活動に影響を与えたのは、
『人の行かない道を行け』という中村家の家訓(笑)。
ウチでは遊びに行くときも、
混雑する連休中は必ず避け、しかも
著名な観光地ではなく
深山幽谷などに好んで出かけていました。
当時、多くの同級生は
都市銀行や総合商社を志望していましたから」
(中村氏)

人生は、しばしば偶然によって左右される。
中村氏は就職活動中、
ある運命的な間違いを犯した。

コンピュータシステム系のCSKという
会社の説明会にエントリーするはずが、
間違って、CSKベンチャーキャピタルという
子会社の説明会に
エントリーしてしまったのである。

しかも、
気づいたのは説明会が始まった後だった。
せっかくだから、話だけは聞いてみよう。

ところが、
会社の説明を始めた副社長が面白いことを言う。

「私たちの仕事は、
これから伸びそうな会社を見つけて、
投資・育成をするコトです!」

金融といえば、
銀行、証券、保険しか知らなかった中村氏は、
「こんな会社があったのか!」と心を躍らせた。

◆経営分野で、『シカゴ・セブン』を探せ!

当時、CSKベンチャーキャピタルの
副社長を務めていたのは、斎藤篤氏だった。
(現・日本ベンチャーキャピタリストクラブ会長、
エス・アイ・ピー株式会社代表取締役社長)

日本のベンチャーキャピタリストの草分けで、
野村證券在籍時代に「ベンチャー・キャピタル」という
仕事の実態を調べるために渡米。

帰国後、日本で民間初のベンチャーキャピタル会社、
日本合同ファイナンス(現・ジャフコ)創設の一員に。

その後、
日本アセアン投資(現・日本アジア投資)を経て、
CSKベンチャーキャピタルの副社長になっていた。

「人心収攬に長けた非常にカリスマ性のある人で、
この人と一緒に働けるのなら、と心が動いたのです。
しかし、一方で当時から将来の選択肢の一つとして
起業を考えていたものですから、一度、きちんとした
組織で働く経験を積むべきだと思いました。
結局、内定は頂いたものの、同じ業界の
日本アジア投資に決めたんです」
(中村氏)

CSKベンチャーキャピタルの従業員数は
当時20数人しかいなかった。

さらに、
老舗のジャフコは約1000人だったのに対し、
日本アジア投資は200人程度だった。

日本アジア投資こそ、
まだ上場前で、組織も混沌としており、
父親の言う「伸び盛りの会社」に
ふさわしいと思った。

律儀な中村氏は、
日本アジア投資に行く決心が固まると、
斎藤副社長に内定辞退の挨拶に行った。
部屋に招き入れた斎藤氏は、こんな話をしてくれた。

「シカゴの美術館に、『シカゴ・セブン』という題の
大きな写真がかかっている。
そこに写った7人こそ、実は全米で最初に
ベトナム反戦運動の声をあげた人達だ。
それがきっかけで、全米、
いや全世界に運動が広がっていった。

どんな物事も、最初の数人から始まる。

僕らの仕事は、
経営の世界における最初の数人、
『シカゴ・セブン』を見出す仕事なんだよ。」

「口説きの意味もあったのだと思いますが、
この話は心に刺さりました。

仕事をしていく中で、
ずっと大事にしていこうと。

結局、入社は丁重にお断りしましたが
後日談があり、後に斎藤さんとは
別の機会でお会いしたら
ちゃんとその話を覚えてくれていました。
それ以後、彼を囲む会に参加するようになり、
今でもお付き合いさせて頂いています。」
(中村氏)

→ 後編に続く

☆The Voice of SPIRITS ☆
~経営者とビジネスパーソンのチャレンジを応援するメールマガジン~
【Vol.17】2003.11.05

メルマガ編集人・イサナ@有政です。
今回は中村氏の後編をお届けします。
ひょんな勘違いからベンチャーキャピタルの世界に入った氏が
その後どのような軌跡を描くのか?是非お付き合い下さい。
(彼が誰に似ているのかも、末尾に記載しております)

【1】チャレンジャーの軌跡9(後編)~中村 航氏~
『基準は我にあり。生きること=日々成長すること』

◆4年で800人の社長に会う。ビジネスのイロハを培った飛び込み営業

1995年4月、社会人としての生活が
日本アジア投資で始まった。
2週間の研修が終わり、配属は希望通り大阪だった。

同社では、
東京出身者は地方に、地方出身者は東京に、
という配属慣行があったようだ。

大阪支店といっても、10名しかおらず、
「東京に負けるな」という雰囲気が充満していた。

20代中心の若いメンバーで、
毎日「今日はこんな社長に会った」という
“戦果”を報告しあった。
大学のベンチャー発掘サークルのようなノリだった。

中村氏はどんな手段で、
これから有望な会社を見つけようとしたのだろうか。

「帝国データバンクのデータ、新聞、
時には求人情報誌を参考に、当たりをつけるわけです。
3年以上連続して売上げが伸びているか?
社長の生年は?社名は前株か、後株か?
社名の指標は結構有効で、実際、
前株でカタカナ社名の会社は
投資の対象となることが多かったですよ」
(中村氏)

いざ目標が定まったら、社長との直接面談である。
しかし、アポイント取りが難物だった。

「電話をして投資の話を切り出すと、
“待っていました”とばかりに社長が出てくる場合は危ない。
それと反対に、“うちは間に合っています”という返答に
どこまで食い下がれるか、でした。

ベンチャーキャピタルといえば、
今でこそ社会的認知度が高くなりましたが、
当時はまだまだ怪しい業種(笑)。

電話ではなかなか趣旨が伝わらず、
いつしか、飛び込み営業専門になっていました」
(中村氏)。

朝、出社し、地図に丸をつけ、
足を棒にして、その日1日周囲をつぶしていく。
そのうち、飛び込み営業をいつの間にか
楽しんでいる自分に気づいた。

社長不在の場合、その場で
一言書いた名刺を置いて帰ると、
ヒット率が上がることも分かった。

そのうちに「社長いらっしゃいますか?」と
会社のドアを開けた途端に、投資に値する会社かどうか、
動物的な勘で分かるようになっていた。

最初は10社に1社しか社長に会えなかったが、
その確率が3社に1社になっていた。

「4年間で800人ほどの
ベンチャー経営者にお会いできました。
飛び込み営業って、ムダが多いように思われがちですが、
実はものすごく多くのことが学べます。
いまは会社側も営業現場も
飛び込み営業を嫌がる傾向があると思いますが、
会社も上場する前で、飛び込み営業が許される
雰囲気だったのはありがたかった。」
(中村氏)

◆マネーゲームには興味なし。スカウトの末、念願の経営現場へ

結局、4年間の在籍期間中、
3億円余りの資金を4社に投資した。

800社のうちでわずか4社。
投資対効果が見込めそうな会社の
出現率の低さを物語っている。

しかも株式公開まで行きつく会社はさらに少ない。
「実は、利回りとか、投資の仕事そのものに
興味が持てないことに気づき始めたのです。

そして、会社には2つのタイプがあるようです。

1つは、カリスマ的トップがピラミッド型の組織を作り、
超ワンマンですべての物事を決定していく会社。

もう1つが、一見、普通の人なんだけど
動物的な勘に優れていたり、
運をモノにする力量のある人が率いる会社。

後者は自分の限界を分かっていますから、
周りにできる人を多数抱え、組織力で勝とうとします。

投資案件としては、
波にうまく乗れば急成長する前者のタイプを
多く見つけて投資すべきなのですが、
個人的には後者の会社に惹かれてしまう。

将来、起業する時も、私の性格から言って
絶対後者のような会社にしたいと思っていましたし、
そういう会社って、競争第一の東京ではなく
地方に多いような気がします。
結果的に、大阪での勤務は大いに肥やしになりました」
(中村氏)

こうしたこともあって、
ただ資金を投資するのではなく、
経営の現場で実際に舵取りをしたい
という気持ちが日増しに高まった。

そんな折、東京でIT系ベンチャーが
多数勃興しているという話が飛び込んできた。
しかも、その多くは
自分と同じ20代の若者が率いているという。

「矢も楯もたまらなくなって
“東京に行かせてください”と
支店長に直訴しようと思ったのですが、
首を縦に振ってくれないのはわかっていました。

支店内で中堅クラスになっていましたから、
一人抜けると後が面倒なのです。

それでも、会社を辞めて
関西で結婚した妻と二人で
東京に戻る決意を固め、
大阪でお世話になった社長のもとに挨拶に回るうち、
当時の投資先でもあったサンワールド社の代表が
“うちに来ないか”と何回も誘ってくれ、
東京進出の立ち上げスタッフということで
お世話になることにしたのです。

サンワールドという会社は、グループで
(1)商標権・著作権など知的所有権の管理・許諾・商品化、
(2)映像や音楽著作物などのプロデュース、
(3)アパレル・雑貨などの企画販売
を行っています。

いま思い出すと、
日本アジア投資に入社早々の研修での、
ある役員の“他社からスカウトされるような人材になれ”
という言葉がインパクト大きかったですね」
(中村氏)

転職を決意するに至った事情をもう少し聞いてみよう。

「毎日飛び込み営業をしていると、
お昼の時間が貴重になる。
私は美味しいものを食べることが大好きで、
グルメ本を買ってお目当ての店を見つけると、
その店で昼食をとりたいがために、
飛び込み営業のエリアを決めるなんてことも
よくしていました(笑)。

また昼休みに本屋によく行ったのですが、
ある日、映画とか音楽とか飲食に関する本を立ち読み
していて、気づいたら1時間以上も経過していたことがありました。

また、ずっと自分の興味がある新聞記事を
ジャンルごとにスクラップしていて
好きな「衣・食・住」分野に関する記事が
知らないうちに溜まっていたんです。

それで分かったのは、自分は
飲食とか映画とか、時間消費を目的にしたビジネス、
しかも色々な人や情報を組み合わせて
新たな価値を作り出すプロデューサーのような
仕事が好きなんじゃないか、と。

サンワールド社は、
映画や飲食、雑貨、それにアパレル分野で
事業展開していましたから、
私の目指す方向にぴったりだったのです」
(中村氏)

◆人・事業を見きわめる力と資金管理のノウハウを武器に

サンワールドの本社は大阪市内であるが、
入社当初、中村氏は
東京・四谷にある東京支店で経営企画室に所属した。

異業種、それも金融界からの転職組はそれまで皆無で、
新たなポジションを作ってもらったのだ。

アパレルや雑貨は
当たり外れのリスクが大きく、
収益がなかなか安定しない。

新しい分野への進出を同社も模索しており、
中村氏はいわばそのための人材だった。
さらに、同社が東京でビル1棟を借り上げた時期にも
ぶつかり、ビルのテナント誘致や
管理・運営にも関わることになった。

ビルの地下にあるライブハウスの運営、
アニメの映画化、オリジナルキャラクターの立ち上げ、
ビルにテナントとして入居している
会社相互の交流を図り、新たなビジネスを立ち上げること。。

一見、脈絡のない種種雑多な仕事が
山のように襲いかかった。

「サンワールドは、
パラマウント映画の日本国内での商品化代理店なのですが、
大ヒット映画『ローマの休日』のシナリオを使い、
キティちゃんと主人公にした映画を企画したりしました。
サンリオに企画を持っていったら、
キティは口がないので台詞がしゃべれない、と言われ、
あえなくボツに。アイデアはよかったんですけどね(笑)」

中村氏が
ベンチャーキャピタリストとして経験してきたのは、
経営者とビジネスモデルの真贋を見極め、
資金という、ビジネスに不可欠の“血”を“輸血”する、
いわばビジネスの根幹に関わる仕事であった。

だからこそ、理解できることも多々あり、
混乱や戸惑いもあまりなく
新しい世界に没入することができ、
間もなく若くして同社の取締役に抜擢された。

「サンワールドは、
人と人、会社と会社のつながりを大事にする、
いわば昔ながらの船場商法の会社。
そこで、社長に色々な人がビジネスを持ちかけて来るんですが、
その際、僕も同席し、後で社長とその人物と会社の見極めをやるんです。
あの人どうだ、と。不思議なくらい意見が一致しますね」
(中村氏)

現在、中村氏はサンワールドの子会社、
(株)エス・ピー・エムの代表を務めている。

「この会社は、会員制の異業種交流会の運営から発展して、
成長前期段階の企業に対する経営支援をしています。

草の根的な異業種交流会は山ほどありますが、
ビジネスとして取り組んで残っているところは
そう多くないはずです。

事業としては一時は順調だったのですが、
顧客の絞り込みが甘く、
サービス内容が明確ではなかったため、
なかなか会員数が維持できず、
根本的な再建が必要でした。

私が代表になってから、
業種(「衣・食・住・遊・学」)と
立ち上げ時期(創業3~5年)、
この2つの指標で顧客を絞り込むことで、
少人数でも大きな成果が期待できるよう、
急ピッチでビジネスモデルの改編を
進めているところです。

最近は、
仕入先・販売先などのコーディネートや、
金融分野との橋渡しなど、
成果が徐々に出てきています」
(中村氏)

◆目標はグローバル。「微動だにしない自己基準」を求めて

最近、中村氏は個人的に大きな思考の転換点を経験したという。
「今までは日本国内にばかり目が向いていましたが、
最近、グルーバルなネットワーク作りに
興味が湧いてきたんです。
特に、アジアや、中南米、北欧に興味があります。
5年後にはぜひ実現したい」
(中村氏)

昨日より今日、そして明日。
新しい経験を積み、新しい知識を仕入れ、新しい人に会う。
日々、自分が成長しているのを実感しなければ
生きている意味がない、と考える。
そういう意味では、イラチ(関西弁で、せっかち)の人である。

好きな人物は?と聞いたら、
イチローという答えがすぐさま返ってきた。

「数字や勝ち負けではなく、
自分が納得できるプレー水準にとことんこだわる。
自分の中に、明確なイメージ、
微動だにしない自己基準があるところが
スゴイと思いますね」(中村氏)。

はっと気づいた。
その瞬間、目前の中村氏の顔に、
バットを構えたイチローの顔が確かにだぶった。
《Case9》【完】

【参考情報】
株式会社エス・ピー・エム <事業概要>
・ベンチャー企業立ち上げ期における事業展開サポート
・投資家、金融機関等に対する新規事業の情報提供
・ビジネス情報の配信
===================================

【2】インタビューを終えて

中村氏の軌跡、いかがだったでしょうか。
中村氏に限らず、取材をしていつも思うことは
“苦労話”がなかなか聞けないこと。

チャレンジの過程で起こる、
胃の痛くなるような判断やギリギリの場面なども、
何とかリアル感をもって
お伝えしたいと考えるのですが、
我々がそう感じる場面でも、
淡々とお話しされる事が多いです。

特に中村氏はそのように感じました。
自然体で軸がブレない、
前を向いている明るさ・ひたむきさが
体中から湧き上がっている、
そんな印象を与える方でした。

周囲から見れば苦労話に思えることも、
それを乗り越えてきた人間から見ると
当たり前で、声を大にして
話すことではないのかもしれません。

それを経験していない者が、
その場面を勝手に?想像して
恐怖や苦労を感じているだけかも
しれないですね。

実は、取材の前に、
中村氏の会社が主催されている
定例会(異業種交流会の場)にも参加してみました。

自社ビルのオープンスペースを利用し、
参加者は約30名。

交流会と名がつくものに
初めて参加したという初老の社長から、
SPM社のクライアント企業
(外食・小売系の成長企業が多い)の経営者、
個人事業主、営業マンや元気の良い学生さんまで
幅広く、中村氏の交流の広さにまず驚きました。

その時の定例会は、
中村氏のSPM社事業状況報告から始まり、
ビジネスレポート(SPM会員の事業説明の場)を経て、
交流会という流れで、特に交流会では
積極的に個別意見交換がなされます。

非常に話しやすい雰囲気を作られており、
私もそこでお話しできた方の何名かと、
その後ビジネスとして繋がりを持つことができました。

また、中村氏の
チャレンジャーの軌跡・前編を配信した直後に
「中村氏を知っている、取り上げてもらって嬉しい」
という内容のメッセージが複数入りました。

弊メルマガの数少ない?読者の方からのご反応に、
ここでも中村氏の交流の広さに感心しました。
地道にやり続けておられることの証明です。

定例会の事業報告の際に、
「求人広告を出したら予想以上に多くの応募があり、
その中から複数名、我々の事業に参加してくれそうです。」
と、本当に嬉しそうにお話しされる姿が印象的でした。

インタビュー中に奇しくも言われた
“周りにできる人を多数抱え、組織力で勝つ”経営を
まさに実践されつつあると思います。

中村氏、SPMという会社の双方とも、
今後の成長が非常に楽しみです。

□発行/編集 株式会社スピリッツ
□Copyright (c) SPIRITS Co.,Ltd. All Rights Reserved.

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